エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

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ニュージーランドハイキング vol.6

ミルフォードの楽園と地獄

ミルフォード編 その2


 目覚めると、空はからりと晴れ渡っていた。トレッキングにかかわって、ほぼ3週間。私の短い(短かすぎるよ)トレッキング人生において、この日ほど晴れた日はなかった。雨女というわけではない。フィヨルドランド国立公園は年中無休で雨が降るが、晴れるとすべてが許されるほどに美しい。そういう場所のようである。

 ブナの森を歩き始めると、目の前に広がっていたのはまさに「世界一美しい散歩道」だった。森の木が風に揺れ、木漏れ日が道の上でキラキラと揺れている。道のそばにはエメラルドグリーンに輝くクリントン川が流れており、大きな鱒が川底近くでじっとしている。まるでマスカットゼリーの中に魚がとじこめられたようだ。

 森はみずみずしいコケで埋め尽くされて、地面から黄緑色に明るい光を放っている。その合間からブラックロビンファンテールが現れ、道案内をするように、我々の少し前を飛んでは木の枝に止まり、また気まぐれにフイッと飛んでゆく。どこからかトゥイベルバードがコロコロと鳴く声も聞こえてきた。なんだこれは。なんでこんなに鳥がいるのだ。川は緑色だし、お魚もいるし、なんかすごーい! うそー。きゃー。

ミルフォードの森

みずみずしいコケに覆われ、黄緑色の明るい光を放つミルフォードの森 Photo : Hiroshi Nameda

と、はしゃぐ一方でワタクシ「この魚、釣り客向けの放流かも」とか「DOCがトレッキング客を喜ばせるために、客の周りを飛び回るよう野鳥に芸をしこんでいるのでは」という、心底くさりきった疑いも持っておりました。もちろんそんなことはありえないのだが、そう疑いたくなるほど、ミルフォードの美しさは非現実的だったのだ。しかし、こういう事は疑い出すとキリがない。私の頭の中では「この仕事もけっこうつらいわよね~」とか「今日の客ノリが悪いわ」と、出番待ちの控え室で、なぜかおネェ口調で話し合う野鳥の図、というのがありありと浮かんでいたのである(重症ですかね) 。

 森を抜けると草原が現れた。かつて氷河がこの場所を流れてでき上がったU字谷だ。日差しは肌をジリジリとつきさすほどになっていたが、あたりには無数の黄色い花が風に揺れていて、どこか涼しげな感じがあった。左右にはごつごつした岩肌の山がそびえており、自分が歩いている場所を何万年も前に巨大な氷河が通っていったことがよく分かる。

 道は再びブナの森へ入り、ゆるやかに上って行く。ここから山小屋までは300メートルの登りだが、平らな場所も多く、気楽に歩ける道だ。だが連れの明子さんは口数が少なくなり、歩調が目に見えて遅くなってきた。暑さと荷物の重さに参ってしまったらしい。ペースを合わせると、お互い気をつかうので、それぞれのペースで歩くことにする。1時間ほどざくざく歩いて2日目の宿、ミンタロ・ハットに到着。

 はー疲れた。とりあえずひと休みしようとコーヒーを飲んでいると、たくさんのトレッカーがウエストポーチやデイパックを背負って続々と出かけているのに気がついた。みんな天気がいいうちに、明日のハイライトであるマッキンノンパスへ登って景色を見るという。といってもここから5キロ先のマッキンノンパスに登るということは、この小屋に戻るのに往復10キロ歩かなくてはならない。すでに今日17キロ歩いているというのに! この人たち、元気なんだかマゾなんだか。きっとマゾだろうな。 「明日は天気が悪いから、今日行こうよ」と誘ってくれる人もいたが、私はのんびりしたかったので根拠はないが自信たっぷりにこう言った。「絶対、明日も晴れるって! こんなに天気がよくて雲ひとつないんだから。ここで景色見ながらコーヒー飲んでるよ」。

 翌日は大雨だった。私は他のトレッカーが「昨日、見といてよかったよね。あの景色、きれいだった~」などと話しているのを聞きながら、『アリとキリギリス』のキリギリスになった気分だった。フンッ。いいもんね。またいつか来て、絶対見てやる。

 エー、本日がミルフォードトラックのハイライト、マッキンノンパスでございます。この峠はミルフォードトラックの開拓者であるクインティン・マッキンノンの名がつけられておりまして、ミルフォードトラックのちょうど中間に位置する、標高1000メートルの峠でございます。エー、峠の頂上からは1、2日目と歩いてきたU字谷、クリントン峡谷とクリントン川が見渡せ、逆の方向にはこれから進むべきアーサーバレーがはるか彼方まで見渡せるのでございまーす。ここを見ずして、ミルフォードに来たとは言えない最大の見どころでございまーす。

マッキノンパス頂上

マッキンノンパスの頂上にあるモニュメント。晴れていれば、こんな感じだそうです....。 Photo : Hiroshi Nameda

と、バスガイドさん風に書いたものの。無情にも空は荒れ狂い、あたりは一面真っ白になってしまったので、私と明子さんは道端に咲いていたマウントクック・リリーの花になぐさめられるようにして、500メートルのジグザク道を登りきったのであった。でもこれだけ天気が変わりやすいということは、頂上につく頃には晴れてるかも! とドラマチックな展開を想像してみたのだが、頂上についたら雷雨でした。はっはっは.....(涙)。

 「雨で道が荒れているので、下りは通常のルートではなく避難用のルートを通るように」とDOCのスタッフに指示され、我々は雷と稲妻が鳴り響く中、泥だらけになってマッキンノンパスを下っていった。非難ルートはふだん使われていないためか、岩や木の根が出ていて手間どったが、雷に打たれることもなく無事に下りきる。下に降りるにつれてブナの森が広がり、川が大きくなった。ここからは木製の橋を越えながら川沿いに歩いていく。この頃になると明子さんはひと言も口をきかなくなってしまった。私は理由が分からずうろたえていたのだが、後で聞いたら、彼女は疲れがピークに達していて、自分の体力のなさに腹をたてていたらしい。

 

鉄則、山の道具はケチるべからず

 クインティン・ロッジに到着。ここはガイドウォーク参加者用の宿である。だが、個人歩きのトレッカーもここに荷物を置いて、片道45分の場所にあるサザーランド滝を見に行くことができるのだ。この滝は580メートルの落差があり、世界で5番目の高さを誇る。だが、滝までの道のりはきつかった。道が沼のようにぬかるんでいて、どこへ足を置いてもくるぶしまでズブッと入ってしまう。私は泥水で重くなった足をズブズブ、ヌチャヌチャいわせて「ギャー」とか「ぬわー」とか野生動物のように叫びながら、ほとんどゾンビのように大雨の中を歩いていたのである。ベトナム戦争の兵士じゃあるまいし。トレッキングってほんとマゾじゃないとやってられないかも。

サザーランド滝
大迫力のサザーランド滝 Photo : Hiroshi Nameda

やがてドドドドドという轟音につられて顔を上げると、自分の正面の山肌から一直線に流れ落ちる滝が見えた。はるか上空からほとばしる水の迫力。まだ1キロほど滝から離れているというのに、ものすごい音が辺りに響きわたる。すれ違うトレッカーがみんな、興奮して笑顔で話しかけてくる。すごい風景を見ると、ウソのように疲れが消えてゆくのはどうしてだろう。つくづく人間の体は都合よくできていると思う。

 この日の宿泊場所、ダンプリン・ハットはクインティン・ロッジから4キロ先にあった。滝の往復分も足せば、今日は20キロは歩いているだろう。

 夜になると、ハットワーデンが宿泊者を集めてツチボタルがいる場所に連れていってくれた。岩の壁に青白い小さな光が点々と散らばっている。ワイトモやテアナウのツチボタル洞窟のような迫力はないが、小さな虫たちが太古の昔からこの森で美しい光を放っていたことを想像すると、なんとも神秘的に思えて、彼らの存在が愛しくなった。

 「いやー、よかったよかった」。喜んで山小屋に帰ると、待っていたのは明子さんの不機嫌な顔であった。今日の雨でバックパックに雨が染み込み、寝袋が濡れてしまったという。
「ちゃんとバックパックの中にビニール袋入れて、その中に寝袋入れたよね?」「千春さんにもらったビニール袋、穴があいてた」「えっ....」ひゅるりー。事態は最悪であった。

 このとき私は悟ったのだ。山の道具はケチるべきではないと。出費を抑えたいと彼女に言われても、家にあったビニール袋など渡さず、新品のパックライナーを買うよう強く言えばよかったのだ。たかが2ドルを惜しんだばかりに彼女はひどい目にあい、我々はとことん気まずくなってしまった。

 とはいえ、荷物が濡れたのも不思議はなかった。彼女は外側にパックカバーもつけていなかったし、バックパックそのものの防水性も低かった。それにひきかえ、嫌味なくらい私の荷物は乾いていた。バックパックは防水性の高いマックパック社のものだったし、さらに外側にパックカバー、中にはパックライナーを使っていたので、1日中大雨の中を歩いても問題なかったのだ。あらま! 自分でも驚きであった。

 その晩遅くまで、私は山小屋の薪ストーブの前でいろいろなことを考えた。そういえば、いろんな人から「雨具と靴、バックパックは、きちんとしたものを揃えなさい」と言われたっけ。なけなしのお金で高いの買っといてよかった。でも、明子さんとの関係はどうやったら修復できるのかしら.....。変なことになってしまったな。

 薪ストーブの上には洗濯ロープが張り巡らされ、万国旗のように泥だらけの靴下やタイツ、雨具などがぶらさがっている。私はややこしい感情から逃避したくなり、泥だらけになった自分の靴下を乾かすことに没頭した。

VOL.7へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次Vol.7