エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

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ニュージーランドハイキング vol.8

景色良ければ登山もまたよし!

ケプラートラック編 その1


 ミルフォード・トラックから帰った翌日、私はひどい筋肉痛と腰痛に悩まされた。太ももとふくらはぎがパンパンに張り、腰が動くたびにガクッと不気味な音を立てる。腰を動かさないように歩こうとすると、足をソロリと10センチ程度前に出すのがやっと。なんとも惨めな状態だった。
 今思えば、これが「山の洗礼」だったのだろうか。それまでロクに運動したこともないのに突然狂ったように山に通い出したのだから、体が悲鳴をあげたとしても当然だった。そして、この時ほどひどい痛みに見舞われたことは、後にも先にもないのである。

 そんな目にあったにもかかわらず、その3日後、私はケプラー・トラックを歩いていた。1日安静にしたら腰痛が治ったからである。前から薄々気づいていたことではあるが、どうも私は体力があるらしい。日頃「華奢で折れそうに細い」ではなく「遭難しても、体内の脂肪分解して最後まで生き残りそう」と言われたり、「君を守ってあげたい」ではなく「お前が守ってやれよ」と言われるタイプであるために、女の幸せを多数逃がしてきた気もするワケですが(しみじみ)、トレッキングに限って言えば、私はかなり得をしていると思う。体が疲れにくいため歩く楽しさが半減せず、いつまでもヘラヘラと歩いていられるからだ。

 腰も治ったし、お天気も最高。こんな日は町にいるより山に行くほうが楽しいに決まっている。2本の本格的なトレッキングを終えて、私はそう思うようになっていた。ほんの数ヵ月前なら、いそいそショッピングに出かけたであろうに。人って変わるものである。 ケプラー・トラックはグレートウォークのひとつである。だがミルフォードやルートバーンのように入山規制や予約制度がない上、テアナウの町のすぐ側にあるため、気楽に挑戦することができる。何より、その日の天気を見てから出発を決めることができるし、山小屋のチケットが1泊15ドル(現在は20ドル)と安い点もありがたい。

 ミルフォードを歩いた時に知り合った日本人男女2人組にテアナウ・バックパッカーズで再会、意気投合したこともあり、2泊3日の行程を一緒に歩くことになった。久美さんは小柄な女性だったが、大学時代は登山部に所属していたという。小学校の教師をやめてワーキングホリデー・ビザを年齢制限ギリギリで取り、ニュージーランドにやってきたと言った。
  一方マサさんは北海道の出身で釣りのガイドになりたいと、やはりワーホリのビザでこの国に来たという。2人は語学学校の同級生で「一緒に旅をしているけど、カップルではないよ」と念を押して笑った。

 我々は知り合いの車でスタート地点まで連れて行ってもらい、昼すぎに出発した。ケプラートラックの入り口はテアナウ湖の南端にある「コントロールゲート」だ。ここからブロド・ベイという地点まで、湖沿いに5.6キロほど平らな道を歩く。この約1時間半の行程を省くために、テアナウの町からボートで湖を渡り、ブロトベイから歩き出す人も多いそうだが、個人的にはこの道を歩かないのはもったいないと思う。ビーチから少し奥まった所につけられた道はとても整備されており、ブナやトタラ、ミロ、リムといった背の高い木々に囲まれている。空にかざされた何万という小さな葉の隙間から優しい陽射しが差し込んでおり、なんとも幸せな気分になれる道だ。難点を挙げるなら、湖の側でひと休みしようとするとサンドフライの大群が押し寄せることだろうか。

 ブロドベイからは左折して8.5キロ、約4時間半ほど登ってラクスモア山頂に近いラクスモア・ハットを目指す。・・・と書くのは簡単だが、この道はつらかった。急な登りがない代わりに、ダラダラといつまでも登り続けるのだ。
 滝のように汗を流し、真っ赤な顔になっていても、最初の1時間は「なんや、この道は!なに考えとんね~ん!」と悪態をつく余裕がまだ、あった。だが、そのうち3人とも口数が減り、さらには放心状態になり、顔の表情が抜け落ちてしまった。小鳥がヒラヒラ現われれば、「あ、とり」。シダの新芽があれば、「きれー」と声を出してはいたものの、声は記号的で、その顔はよどみきっていたように思う。

テアナウ湖ラクスモア山から見たテアナウ湖。氷河が流れた跡がくっきりとわかる。Photo : Hiroshi Nameda

覇気なく亡霊のように2時間ほど登り続けると、ライムストーン・ブラフと呼ばれるポイントに着いた。石灰石の白い巨岩が鎮座しており、岩を回り込むようにルートがつけられている。ここまでくれば、もう少しで森林限界のはず・・・と思ったら、まだ1時間ほどあるという。そこから先はまるで景色を覚えていない。いつの間にか3人は散りぢりになってしまい、私は相も変わらず上に向かって伸びる道をヤケクソでズカズカと登り続けるだけだった。

 50分くらい歩いただろうか、突然森が切れ、ぱんっと視界が開けた。その時の爽快さをどう言えばいいだろう。目の前には少し色あせた、夕方の優しい青空と干草色のタソックの草原が広がっていた。ダラダラと流れていた汗が、さわやかな風に吹かれてウソのように消えてゆく。

 どうやら私が一番のりらしい。ラクスモア・ハットまではもう少しあるが、後は平らな道なので急ぐこともなさそうだ。私はその場所で2人を待つことにした。誰ひとりいない山の上の草原で、大きな雲が刻々と形を変えてゆくのをのんびりと眺める。この景色をひとり占めしていることがうれしくて、顔がほころんでしまう。
 やがて汗だくでやってきた2人と互いの健闘をたたえ合い、ラクスモア・ハットへ向かった。テアナウ湖を見おろす美しい草原を歩きながら、私は今までにない達成感と高揚感に浸り、いつまでも顔がニヤニヤするのを抑えられなかった。

VOL.9へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 Vol.9