エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

このページに関する問い合わせはコチラ

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 > Vol.9

ニュージーランドハイキング vol.9

ケプラーを歩いて、人生について考える

ケプラートラック編 その2


 山の朝晩は肌寒い。夏の夜中に雪が降ることも珍しくはなく、朝の歩き始めはいつも厚着になった。歩けば体が温まると分かっていても、とりあえずフリースをはおり、手袋まではめてしまう。もっともその頃の私は、山の道具や衣類を少しずつ増やしては「なんか、アタシってツウっぽくない?!」とほくそ笑むのが日課だったので、新しい衣類はとにかく早く着てみたいという思いもあった。えーえー、どうせアタシャ子どもですよ。あーあー、分かってますって(←開き直り)。

 その日もカトマンドゥのフリースを着込み「いざ出陣!」と気合いをいれて靴ひもを締めていると、久美さんが「千春ちゃんって山やり始めて長い?」と聞いてきた。いや、初心者だよと応えながら「んま、ベテランっぽく見えたのかな」と内心喜んでいると、彼女は「じゃ、教えてあげる」と正しい靴ひもの結び方を伝授してくれた。はっはっは、やはり初心者はどっから見ても初心者なのである。
 大学時代登山部だったという久美さんは、さすがに頼りになった。歩く速さはむしろ遅めだったが、1時間歩いたら10分休むというペースを守るので、長く歩いてもバテることがない。水や行動食をとるタイミングも絶妙で、疲れたなと思った途端に「食べる?」と目の前にチョコレートが出てきたりした。

 

山越え谷越え大満足の18キロ

2日目がケプラーのハイライト。険しい尾根づたいに歩いて行く。 Photo : Hiroshi Nameda

2日目はケプラー・トラックのハイライトだ。まずはラクスモア・ハットからラクスモア山頂(1471メートル)まで、なだらかな坂を登る。すでに森林限界に達しているので木も花もなく、自分がアリになって巨大な砂山をエッチラ、オッチラ登っているような気がしてくるが、気が滅入るのは山頂までだ。そこからトラックは一度下り、フォレストバーン・シェルターを超えて、またゆるやかな登り坂へと変わる。だが、この辺りから、両サイドがすっぱり切れ落ちた尾根づたいにトラックが伸びているので、辺り一面の山々や、テアナウとマナポウリの2つの湖を左右に見渡しながら歩けるのだ。前日まで「オネって何?」とバカ丸出しで聞いていた私は、「これはつまり、山のとんがった部分を歩いているのか...」とバカなりに理解し、未知の角度から山を見る体験を楽しんだ。

トラックは1390メートルの地点でハンギングバレー・シェルターを経て、ジャクソンピークスとケプラー・マウンテンズという2つの山に挟まれた谷へと降りていく。この谷へ続く道も美しい。高度が下がるにつれ、自分が森に包まれていくのを実感できるのだ。山頂付近にはなかった木や花が視界にあふれるようになり、やがて小さな川が現れる。この国の川の美しさといったら、思わず目を疑ってしまうほどで、どんなにヤサグレた心の持ち主でも澄んだ水に手をひたしたり顔を洗ったりしてキャハハと笑った後、「自然って素晴らしいよ」と臆面もなく感動するのではなかろうか。

 まさに山を越え谷を越えたこの日の歩行距離は18.6キロ。さすがに疲れたので、宿泊場所のアイリスバーン・ハットでは早めにベッドに向かった。夜中に外で何かがキーキー鳴いているのが聞こえたが、気にせずグースカ寝ていると、翌朝、それがキウイの声だと教えられて驚いた。この辺りには野生のキウイがいるのである。

 

彼女の悲しい記憶について

 3日目は谷歩きだ。ゴールまでの距離は23.4キロと長いが、アップダウンは全くない。マサさんは別行動することになり、久美さんと私はずっとおしゃべりしながら歩いた。今までしてきた仕事のこと、これからの夢のこと。そして30才前後の女性同士の会話の流れとして、私は「久美さんて恋人はいるの?」と聞いたのだ。彼女はうーん、と困って「いたけど、山で死んじゃった」と言った。

 狼狽する私にかまわず、彼女は淡々と話し始めた。「おんなじ登山部でさ。長くつきあってたんだけど、1人で出かけたヨーロッパの山で死んじゃった。遺体が日本に戻ってきた時はさ、さすがにこんなの彼じゃないって泣いたね。実はこの間のミルフォードは、彼と一緒に行こうって言ってた場所なんだ。歩けてよかったなと思って」
 口がゆがみ、涙が出そうになるのを、私は唇をかんでこらえた。それは何故か分からないけれど、震災直後の神戸に取材で行って、ボロボロになった三宮の街で毅然と振るまう地元の人を見た時の感覚とよく似ていた。泣くな。ほんとに辛い人の前で第三者が泣くのはみっともない。多分、あの時もそう思ったのだ。
 これほどキツイ別れがあるかなあ。話題が変わってからも、私は久美さんの身にふりかかった悲劇を、自分なりにかみくだこうとした。彼女は長い間、泣き暮らしたに違いない。もし、同じ立場なら....。2度と山など見たくなくなるんじゃないだろうか。

 3軒目の山小屋、モトゥアラハットでひと休みしていると「こんちわ」と真っ黒に日焼けした日本人の男性がやってきた。彼は昨日ブロドベイからアイリスバーンハットまでの27キロを一気に歩き、昨晩はハットの側でテント泊したという。「私たちもアイリスバーンから来たの。ここで休憩一本とろうと思って」という久美さんの言葉を聞いて、彼は「一本だなんて、そうとう山やってるんですね」と笑い、2人の山談義が始まった。
「大学の頃はいろんなとこ登ったよ。バカオネとかね」
「あ~バカオネ! 僕も行きました。腹立ちますよね~」
 日本の山の名前が次々と飛び出す会話を聞きながら、私は「へえー」とか「ふーん」とか相づちを打っていた。そして目を輝かせて山の話をする久美さんを見て、この人は私なんかよりずっと大人なんだ、と思った。
「じゃどうも。またどこかで会うかもね」
 山小屋で彼と別れ、6キロ先のゴールをめざす。私は「人生って、いろいろあるんだな」と、しみじみしながら歩いていたが、その日が自分の人生のちょっとした思い出になるなんて気づきもしなかったし、まして山小屋で尋ねもしなかった色黒の青年の苗字を、数年後に自分が名乗るようになるなんて、夢にも思っていなかった。

VOL.10へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 Vol.10