エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

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ニュージーランドハイキング vol.12

雨男とともにアラバスターへ

ホリフォードトラック編 その3


 朝になっても雨はやまなかった。昨夜の雷雨と比べれば、穏やかなものだったが、歩けば全身濡れてしまうことは疑いようがなかった。ただでさえ、昨日の泥道でブーツの中はグチャグチャになっている。恐る恐る足を靴に入れると、うぎゃあああ、フカフカの靴下が一瞬にしてヒンヤリした気持ちの悪い布へと変わっていく様子がよく分かった。
 こんなことなら昨日の濡れた靴下を履くべきだったという気もするが、それはそれで勇気がいる決断である。おまけに私の黒い靴下は濡れるとグアムのナマコのように見え、これを履くのは一層の勇気が必要だった。
 午前9時頃、山小屋を出発。一軒先にあるアラバスター・ハットを目指す。トラックガイドには3~4時間の道のりとあるから、昨日のペースで歩けば正午には到着するだろう。
 雨足は思ったより強かった。歩き続けているにも関わらず、体が芯から冷えていく。我々は押し黙って、雨の降りしきる緑の森をひたすら歩いた。晴れた日ならホリフォードの清流や飛び交う鳥たちをのんびり楽しめる道に違いない。川の向こうにはマウント・マデリンやマウント・ツトコといった山が見渡せるという。でも今日はすべておあずけだ。
 どうしてこうも山に来るたび雨にやられるのだろう。雨女なのかなと思っていたら、カブ君が「俺、雨男なんです」と、昔からどこへ行っても雨が降る話を始めた。それは綿密な計算のもとに雨雲が彼の後をつけているのではないか、と思えるほど徹底したやられ方で、彼がそんじょそこらの雨男ではなく、グレートな雨男であることを物語っていた。
 「なあんだ。だから昨日は雷雨で今日は大雨なんだあ。このヤロ~、あんたのせいやったんか!」
 「ええ、多分ね」
 うーむ、まさに雨男の中の雨男。なんだか妖怪じみてカッコいい(?)気もするが、同行者にとっては甚だ迷惑な話であった。

 

全然歩き足りない!


ああ、雨が恨めしい。晴れた日はこういう雪山の美しい風景が見えるのだ(写真はホリフォード3回目にしてようやく撮れたもの)

 ホリフォード・トラックの最高地点はリトル・ホーマーサドルと呼ばれる168mの丘である。大した登りではないのだが、この辺りから雨男の歩調が遅れるようになった。荷物が肩に食い込んで疲れるらしい。彼のバックパックはあまりに小さく、簡単なもので、10数キロの荷物を入れて歩くには向いていなかったのだ。こんな時、道具の差が、歩く人のコンディションさえ変えてしまうことに驚かされる。
 お昼過ぎにアラバスターハットへ到着。雨で冷えた体を温めようと、せっせと火をおこしていると、一人のドイツ人男性がやってきた。彼はミルフォード・サウンドからセスナでマーティンズ・ベイに降り立ち、そこから我々と逆方向に向かって歩いてきているという。
 「これがトレッキング初挑戦でね。ミルフォードかホリフォードか悩んで、こっちにしたんだ」。
 日本人ならほとんど全員ミルフォードを選ぶだろうに、この地味なトラックを選ぶあたりがドイツ人の国民性なのだろうか。彼はチョコレート一袋しか食料を持っておらず、雨具も持たずにGパンで歩いていたため、体が冷え切ってしまったらしい。チャレンジャーといえばチャレンジャーだが、バカといえばバカであった。彼は「火の番を頼むよ、Gパン乾かしといてね」と、えらそうに我々に言いつけて、グースカ寝てしまった。
 やがて午後3時頃に雨が止み、カブ君はいそいそと釣りへ出かけていった。私と周一さんはバカ・ドイツ人のGパンを律儀にも乾かしてやりながら、これからの予定について話し込んだ。周一さんは引き続き先に進み、マーティンズベイで折り返す。私とカブ君は明朝から引き返し、昨日の山小屋に一泊して、翌日テアナウに戻るつもりだった。だが正直なところ、私は帰りたくなかった。昨日は曇り、今日は大雨。ホリフォードのいいところを何も見ていないし、全然歩き足りない気がする。
 「私も全部歩きたいなあ。一緒に行ってもいいかな」。
 周一さんは、「俺、食料は多めに持っているから、食事の量を切り詰めればなんとかなると思うよ」と言ってくれたが、私が同行することで彼の食事を減らしてしまうのは申し訳なかった。私は一晩中「どうしよう」を連発し、翌朝、周一さんとマーティンズベイを目指すことを決めた。

 

最悪の朝食

 よおし、歩くぞ!歩いてやる!沸かしたての湯で紅茶を作り、意気揚揚と朝食をとろうとしたその時だ。マグカップを持った右手にサンドフライがとまった。あっ、やばい、刺されたらエライ目にあう!私は左手でサンドフライを叩き落そうとし、その瞬間、マグカップの中の熱い紅茶が自分の太ももへ、ザザーッとこぼれ落ちた。
 ああ、またやっちゃった。火傷だよ。
 小さな頃からおっちょこちょいで、小さな火傷には慣れている。周りが全員男性だったため、ベッドの上の寝袋にゴソゴソもぐりこんで、ぬれたズボンを脱いだ。そして私は自分の目を疑った。両の太ももがマグロの刺身のように真っ赤になり、皮膚がドロドロのジェル状になっていた。患部の長さは20センチ、幅は10センチくらいあるだろう。両足の太もも全体が気持ちの悪い赤い肉をさらしていたのだ。
 私はめまいを起こしそうになった。どうしよう。悪夢だ。最悪だ。
 山小屋の炊事場で患部に水をかけようとしたが、シンクの高さや蛇口の形から見て、足に直接水をかけるのは無理だった。それにこの水は雨水を貯めたものだからバイキンがいるかもしれない。ドロドロになった患部を守るため、私はポリプロのタイツをはき、水筒に水を汲んで、何回もタイツ越しに水をかけた。
 もうマーティンズベイどころではなかった。すぐに病院に行かなくては。だが、「すぐに」は無理な相談だった。ここからトラックの出口まで、私とカブ君の足なら6~7時間かかるだろう。そこから最寄りの病院があるテアナウまで100キロある。果たして病院が開いている時間にテアナウにたどり着けるだろうか。もう、あたしって何てバカなんだろう!
私は途方にくれながら荷物をまとめ、カブ君とともにホリフォードの出口を目指し、ヒリヒリ痛む足を引きずって歩き始めた。

VOL.13へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 Vol.13