エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

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ニュージーランドハイキング vol.18

ダスキー・トラック聞きかじり話

ダスキー・トラック編


 今回は私が歩いていないダスキー・トラックの話をしようと思う。なにを隠そう、フィヨルドランドで最も危ないと言われるトラックだ。
 なにしろ自分が歩いたわけではないので、詳細は省かしていただく(言い訳)。資料を調べれば詳細は分かるでしょう? とお怒りの読者もいるかもしれないが、このトラックの資料はなかなか見つからない(具体的な言い訳)。いやいや、本当です。山と渓谷社発行の「ニュージーランドハイキング案内」にもダスキーは載っていないし、どんなガイドブックにも載っていない。唯一、紹介されているのは、ロンリー・プラネット社発行の「トランピング・イン・ニュージーランド」くらいだ。

ダスキー・トラック
センター・パスで。真夏、しかもたった1051mという標高しかない山でも、少し冷え込んだ夜の翌日には雪が積もる。それがフィヨルドランドの恐さです

 そら、そうである。下手にこのトラックを本で紹介して、経験の浅い登山者のパーティが挑戦しようものなら、事故のもとになる。ダスキーは歩く人を選ぶトラックなのだ。
 私がテアナウにいる3カ月の間、トレッカー達の間で最高の自慢となるセリフは次のようなものだった。「おれ、ダスキー歩いてきたんだ」。そのセリフを聞くと、それが日本人であれ、外人であれ、みな尊敬の眼差しをそいつに向ける。「えーっダスキィ? すごいな、○○君て!」。そうして、その○○君は、あっという間に発言力が高まり、周辺のトレッカーたちのグル状態に。ははーっ。

 とはいえ例外もある。見るからにバカっぽい若者が「オレたちが、こないだダスキー歩いた時ってさあ」などと、これ見よがしにデカイ声で話している場合は、みんな無視。話を聞いていないフリをしつつ、「人として勝ったような顔すんな、バカ!」とかなんとか、内心思ったものでした。あ、屈折してますか? やだわあ。

 山男を自負する工藤さんや周一さんが、このトラックに挑戦したいと思うのは無理もなく、2人はグリーンストーンから帰ってすぐ、ダスキーに行く計画を立て始めた。そこに加わることになったのが、ワーホリのシンジ君。彼はニュージーランドに来てからトレッキングを始めたそうだが、テアナウ・バックパッカーに長期滞在し、いろいろなトラックを歩いていた。いつも飲んだり、山の情報交換をする仲間のひとりだ。
「じゃあ、無線はどうしますか?」「6泊7日の食糧計画は?」
「シンジ君はバックパッカーでストックを借りたほうがいいな」 イキイキと話をする3人が、私はただ羨ましかった。もちろんついていきたかったが、太ももの火傷がそれは許してくれなかったのだ。患部は乾いてきたもののまだ完治はしていない。そんな状態で、泥沼や川の中を腰まで浸かって前に進むような、ダスキー・トラックに挑戦するわけにはいかなかった。


フロート・プレーンに乗る前の3人を見送りに行った。恐さと期待が入り混じった緊張感のある旅立ちでした

 「いいなあ。あたしも行きたいなあ」と愚痴る私を気の毒に思ったのか、ダスキーへ出発する前日、彼ら3人とカブ君を加えた男4人組がバックパッカーズのキッチンでパウンド・ケーキを焼いてくれた。私の誕生日が2日後なのを覚えていて、お祝いしてくれたのだ。後にも先にも複数の男性にケーキを焼いてもらったのはあの時限り。えらく感動したのを覚えている。なかなかどうして、いいヤツらじゃないか。

 翌日。少し緊張した面持ちの3人を乗せて、小さなフロート・プレーンがテアナウ湖から頼りなげに飛びたった。ダスキー・トラックはダスキー・サウンドの近くにあるのだが、道がないためアプローチは軽飛行機なのだ。

 彼らがダスキーを歩いている間、私は日帰りのハイキングに出かけたり、コロミコ・トレックの荷物持ちをしたりして、相変わらずガツガツと歩きながら「彼らは大丈夫かなあ」と心配しながら過ごしていた。

 

6泊7日・試練の山行からニコニコ顔で帰着

ダスキー・トラック
「隊長、待ってー」「シンジ、オレもすぐに行くぞ」と、この人たちが叫んだかどうかは知らんが、泥に浸かっている割には、妙に嬉しそうです

 そして7日後。彼らは目を輝かせ、満面の笑みで戻ってきたのである。
 「いや~あ、楽しかった。ホント行ってよかった」「千春さんは来なくてよかったっス。キツかったし」「うんうん、やっぱ男3人ってのが面白かったなあ」「最後なんて、看板の前でみんな全裸になったもんね」

 な、なんて失礼なヤツらだ。私はフンとふてくされ、仏頂面で話を聞いたのだが、「来なくてよかった」という言葉は間違いではなかった。ダスキーは道らしい道はどこにもなく、マークやポールを頼りに踏み跡を探すしかないらしい。ルート・ファインディングが難しく、どこに行っても泥沼と川だらけ。

サンドフライ除け
サンドフライに刺されないよう、みんな山小屋ではこんな姿だったとか。コワすぎ!
ダスキー・トラック
ゴール地点の看板。この後全裸(後姿)でも写真を撮ったそうですが、それはお見せできません。

 で、前回のスティール・クリーク同様、先頭を歩いていた周一さんが「特攻隊長、行きまーす」の掛け声とともに、ズブズブと沼に入り、「わーい、結構深いぞー」と喜ぶのを見て、残りの2人も「隊長、すごいっス~」とか言いながら後に続く、という日々だったらしい。アホかいな。マゾの本性、丸出しである。
 そんな場所なので、歩いている人もマゾしかいないらしい。彼らが出会ったスイス人女性などはものすごい急な岩壁を這いつくばって登りながら「あいらいく、くらいみーんぐ」と、恍惚の表情を浮かべていたそうだ。

 しかも、サンドフライの数が他の場所と比べものにならないという。「だって、窓の外側がサンドフライで真っ黒だよ。山小屋のドアを開けるたびに、サンドフライが黒い空気の塊になって入ってくるんだから」という状況なので、山小屋の中では誰かがドアを開けるたび「せーの!」の掛け声とともにノートでドアのすき間を仰ぎまくり、サンドフライが入るのを阻止していたとか。ああ、恐ろしい。人一倍、サンドフライを憎む私にとっては地獄のような話である。

 笑い話ですまないこともあったそうだ。トラックの中盤、不運にも足を骨折したイギリス人女性がおり、救援を呼ばなくてはならない状況になった。ダスキー・トラックには電話線がなく、携帯電話が通じるエリアでもないので、トレッカーはレンタルの無線機をかついで歩くことになっている。そこで、周一さんたちも持参した巨大な無線機を出し、10数メートルに渡るコードを苦労してT字型に張った。にもかかわらず、まったく通じない。結局、翌日訪れたパーティが無事に救援を呼べたため、彼女は助かったそうだが、もし誰も数日間、やって来なかったらと思うとゾッとする。

VOL.19へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 Vol.19