エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

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ニュージーランドハイキング vol.20

地味なトラックからのメッセージ

マナポウリトラック編 その2


 何時間歩いても、さほどの変化はなかった。我々4人はぬかるんだ水たまりをよけて、ピョコンピョコンと右へ左へと飛び跳ねながら歩き続ける。
 トラックは湖岸を外れ、ゆるやかにカーブを描いて内陸へ入った。だが道の両側には相変わらずブナの森がざわめき、薄曇の空を透かしているだけだ。傾斜がない分、景色を楽しめるはずなのに、こうも同じ風景ばかりでは飽きてしまう。
 まったく。クライマックスとか山場とか、そういうものはないわけ? 責任者出てこい!と言ったところで、このトラックを歩こうと言い出したのは、他でもない自分である。誰にも文句を言えず、投げやりになって水溜りの中をズカズカ歩き、後ろに続くヒロコさんを困らせてみたりする(いやいや、普段はこんなに性格悪くないんですよお~←言い訳)。

 結局、歩き始めてから3時間ほどで、宿泊予定のホープアーム・ハットに到着した。さして見どころらしい場所も見つからず、面白かったと言えば、ウォーク・ワイヤーを渡ったことくらい。ウォーク・ワイヤーとは橋のかわりに3本のワイヤーがかけられているものだ。足の位置に1本、両腕の位置に2本あり、手すりがわりに2本をつかみ、綱渡りの要領で1本のワイヤーを歩いて渡る。初めての体験だったが、川の幅が10メートルほどと比較的狭く、また川からの高さも3~4メートルしかなかったので、それほど恐くはなかった。例えば、私が途中で断念したホリフォード・トラックや、工藤さんたちが歩いたダスキー・トラックには、数十メートルの長さのウォーク・ワイヤーがあるそうだ。これは、さすがに足がすくむかもしれない。
 カブ君は例のごとく釣り竿を持ってきていたが、ここでは釣りもできなかった。川はマスカット・ゼリーのように澄み切った緑色で、なかなかの美しさだったが、釣りには条件が悪いらしい。「だってライズもあがっていないし、川面に虫の一匹もいない。これはダメだよ、難しいよ」。ふーん、そんなもんですか。残念。

 ホープアーム・ハットに荷物を置いて、その先にある展望台まで歩くというプランもあったが、我々はそれもせず、山小屋でダラダラと過ごした。なんだか、やる気がうせてしまったのだ。仕方がないので、みんなでお酒を飲み、お茶を飲み、夕食を食べ、デザート代わりにお菓子を食べ、再びお酒を飲んでさわいで寝る。
 うーむ。当時、私が山に通っても通っても痩せなかったのは、この山小屋での食生活が原因かもしれない。

 

クラウン・ファーンの一群に魅せられる

 翌日はいい天気だった。 しかし、やはり展望台に登る気はおきず、のんびりとひき返すことに。昨日と道を変え、バック・バレー・ハットという山小屋を経由する、内陸のルートを進む。ループ状のトラックは2度同じ所を歩く必要がないのが、いいところだ。
 自分が誘った以上、口には出せないが「このトラックはハズレだった」という思いはぬぐえない。やっぱり知名度が低いトラックというのは、見るべきところが少ない、ということなのだろうか。有名ではなく、訪れる人も少ないが、実はとても楽しいという山は存在しないのだろうか。

クラウンファーン
放射状に葉を広げるクラウン・ファーン

ぼんやりと歩きながら、ふと自分の横を見て驚いた。その辺りだけ木々がなく、地面一面にシダが生い茂っている。まるでシダの畑のようだ。
「わ、すごいよ」
 工藤さんとカブ君は「へえ。綺麗だな」と立ち止り、また先に進み始める(いつもそうだが彼らは植物とか石には全然興味を示さないのだ)。
 だが、私は妙にその景色に惹きつけられ、しばらく立ち尽くしていた。放射状に葉を広げるこのシダは確か、クラウン・ファーンという名のシダだ。円をかたどる数十本の葉の先には、丸く固まった新芽がついており、それがゆっくりとほどけ、細長い葉へと姿を変える。クラウン(王冠)という名がついているのは、新芽をつけた葉が、先端に宝石をあしらった王冠の突起に似ているからだ。

 おそらく数えれば、何百株とあるだろう。そのひとつひとつのシダが、いずれも新芽、つまり王冠の宝石をつけた状態で、爽やかな風に揺られていた。薄日が差す中を、黄緑色の一群がザーッと音をたてて揺れる。動物にしろ植物にしろ人間にしろ、この世に生まれ出る姿が人の心を打つのはどうしてだろう。シダの新しい命は、辺り一帯にオーラを放ち、それは私を軽いトランス状態にさせた。

風に揺れるシダを眺めているうち、私は彼らに、さとされている気分になった。えー、つまり、私の頭の中では、シダいわく。
「ねえ、こんな山の中で、そんなにカリカリするもんじゃないよ。ここにないものを探してもしょうがないんだ。遊びにきた山のあるがままの姿を見て、のんびりすればいいじゃないか」

コルー
新芽は「コルー」と呼ばれ、ニュージーランド航空のロゴを始め、さまざまなデザインのモチーフにされている

 ホントだよ。マナポウリ・トラックに罪はないよなあ、と私は思う。
 山に通い続けるうちに刺激がほしくなり、「もっと絵葉書みたいな風景が見たい!」と願うようになるのは、当たり前のことかもしれない。でも派手な山もあれば、地味な山もあるわけで、目新しい景色がなければ、この山はつまらない、来た意味がないと決めつけるのは身勝手な気がする。当たり前に見える風景の中にも、心をギュッとわしづかみにするような印象的な瞬間があるのだ。このシダのように。
 本当に山が好きな人なら、山の中を歩くだけで幸せな気分に浸れるのだろうに。私はまだまだ修行が足りませんなあ・・・。

 あれから既に5年の月日が過ぎた。
 思い出せば、やはり地味なトラックであったけれど、私はマナポウリを歩いてよかったと思っている。こうして日本で机に向かってパソコンを叩いていても、目を閉じれば、一面のシダが風に揺れていた風景を思い出すことができるし、あの時、私がぼんやりと感じたメッセージは、これから先もどこかの山を歩くたびによみがえるだろう。それは、あの地味な山が私にくれた、一生モノのプレゼントでもある。

VOL.21へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 Vol.21