エコツアー大賞
著者プロフィール

吉田千春(よしだちはる)

吉田千春

フリーライター。海外旅行業界紙の記者を経て、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。帰国後は、国内外のガイドブックやロングステイ関連本の取材・製作などに携わる。ワーホリ時代にハマったトレッキングが本格化し、ここ数年は冬山も通っております。

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ニュージーランドハイキング vol.23

南島南端の美しいビーチをゆく

ワイトゥトゥ・トラック編 その2


 夕方、テアナウを出発。知人に借りたオンボロ車でトゥアタペレに向かった。
レイチェルが手配してくれたワイトゥトゥ・トラック山行きは2泊3日の日程だったが、1泊目はトゥアタペレの安宿に泊まり、2日目の朝から歩き始める計画になっていた。
 翌朝、車を宿に停めさせてもらい、頼んでおいたシャトルバスで、トラックのスタート地点まで運んでもらう。スタート地点とゴール地点が異なるため、自分たちの車で出かけると、帰り道が不便になるからだ。

 トラックの話をする前に、レイチェルのことを紹介したいと思う。
 彼女はイギリスのマンチェスター出身で、私より2、3才年下だった。人なつっこくて可愛い子だったが、がっちりした頼りがいのある体格で、山の中でサンドフライに全身刺されて発狂しそうなほど痒くても、掻かずにガマンして1週間やり過ごすという、とんでもなく強い意思の持ち主でもあった。
 彼女が我々のフラットにやって来るまで、私は全身刺青だらけで暴走族上がりの、前妻からストーカー行為で訴えられている、やさぐれ者のオージー、マークと2人でフラットをシェアしていた。マークとの生活はそれはそれで面白かったが、レイチェルが来てからというもの、フラット生活は格段に楽しくなった。

フラットにて
フラットにて。右端がレイチェル。左から2番目がマーク。やさぐれ具合がわかる、いかにもなポーズです

我々はすぐに意気投合し(今考えれば、どうして私の英語力であんなに話が通じ合ったのか不思議なのだが)、毎晩いろんな話をした。仕事のこと(当時、レイチェルもマークもテアナウ・バックパッカーズでバイトしていた)、かっこいい男の子のこと、自分の国でしていた仕事のこと、お互いの服や持ちもののこと。
 そして、いささか時代遅れの「男尊女卑」のポリシーを持つマークと戦うために、レイチェルは私にピンポイント攻撃用の言葉を教えてくれたりもした。例えば、「すめりーばすたーど(くさいオヤジ)」だとか、「しっくいんへっど(頭がビョーキ)」だとか、「ぴすみーおふ」「ふぁっくゆーおふ」(えーっと、このあたりの和訳は品が悪いので省かせていただきマス)。ま、とにかく彼女は私のいい友人なのだ。

 

ビーチと丘を交互に越え、ポート・クレイグ・ハットへ

 スタート地点はブルークリフス・ビーチという浜辺だった。
 まずは5.5キロのビーチ・ウォーク。潮風はきつく、砂に足を取られはするものの、それほど苦労はなさそうだ。歩いてみれば思った通りの快適・楽々ウォーキング。天気はこの上なく晴れており、はるか彼方に青い海と水色の空の境目がくっきりと見えている。
 いやーきれいな海だな~、楽勝だな~、歌でもうたっちゃおうかな~という爽快さである。余裕のあまり、岩場でマッスルを探して、今晩はマッスル料理を楽しもうかというアイデアも浮かんだが、それでは肩をきしませているバックパックがちっとも軽くならないので、やめておいた。

 我々はきゃーきゃー騒ぎながら交互に写真を撮りつつ、浜辺を歩き続ける。しかし、こんなに楽でいいの? なんかアタシ間違ってない? と不安になり始めた頃、やはりというか当然というか、目の前に登り道が現われた。なんでビーチに登り道があるかというとですね、ビーチからせり出すように小さな丘が突き出ていたのだ。
 あーあ、ビーチウォークはここで終わりか・・・と、小さな丘の中に入ってゆくと、すぐそばにある海の存在を忘れさせるほど、うっそうとした緑に包まれた。ジグザグと細かく道を折り返し、15分から20分ほど登り続ける。と、道はあっさりと下り始め、下りきった所に、再びビーチが伸びていた。我々3人、ホッ。

「わーい。また海だ。山道がずっと続くのかと思ったよ」
 と騒いだのもつかの間、あっという間にまた丘が。そして登り終え、下りきると、再びビーチ。そしてまた丘が現われ、再びビーチ・・・。つまりビーチの上を山が出たり、引っ込んだりしているので、その表面を我々は登ったり降りたりしなくてはならないのだった。楽しいのか苦しいのかよく分からないが、ずっと同じ道が続くよりは、やはり楽しい。

ブルークリフス・ビーチ 干潮時のビーチはこんな感じ。日本と違って、どこまで歩いてもゴミひとつない

そうして丘を4つも5つも超えているうち、レイチェルの歩調が遅くなってきた。工藤さんはもともと歩くのが早い人だし、私もそれにつられてズンズン行ってしまう。普段、山を歩いていないレイチェルには、ペースが速すぎたのだろう。一本道なので迷う心配はないが、我々と離れすぎると歩く気が失せるかもと思い、私は時々レイチェルを待った。姿が見え「大丈夫~?」と声をかけると「ぜえぜえ、はあはあ。大丈夫よ~。ぜえぜえ、先に行ってて~」「おっけー」。
 丘を下ったところで3人一緒に歩き始め、次の丘の登りでまた差がついてしまう。「大丈夫~?」「ぜえぜえ、だ、大丈夫よ~」。 ほんまかいな? と思いながらも先を行く。こんな時、一緒に歩いてもお互い気を遣うだけだ。

 結局、いくつ丘を超えたのだろう。なかなかの運動量だった。最後にブレイクネック・クリークという川を越えた後はビーチに下りず、山の中を進んで、ポート・クレイグ・ハットに到着。この日の歩行距離は20キロ。レイチェルは膝を痛めたらしいが、持ち前の根性で弱音を吐かずよく歩いた。
 この日の宿、ポート・クレイグ・ハットは1920年代の小学校の建物を利用したという山小屋だ。確かに窓が大きく、キッチンが家庭的で、他の山小屋とは違うアットホームな雰囲気がある。中に入ると「ポート・クレイグの主」と呼びたくなるような、味のあるひげ面のおじさんたちが「よく来たね。疲れただろ」と声をかけてくれた。

 

ハンティングについて思うこと

 夏のフィヨルドランドは、いつまでたっても日が暮れない。山小屋の中にいるのがもったいないような気がして、我々3人は山小屋の外のベンチで、柔らかなオレンジ色に染まる空を見ながら過ごした。膝が痛いというレイチェルに、工藤さんが神妙な顔で「気」を送っている。彼は日本で気功を習っていたらしい。レイチェルは「東洋の神秘」体験に興味津々、うれしそうな顔と不思議そうな顔を交互にしながら、様子をうかがっている。
 そこへ「ポート・クレイグの主」の1人がやってきて、猟でしとめた小さな鹿を解体し始めた。手を真っ赤に染め、肉の塊を芝生の上に広げる。
「うわっ。私ダメ。勘弁して」

 私は以前、マークの友人のガイに連れられて猟に出かけたことがある。だが、どうも好きになれなかった。ガイには悪いが、鹿が見つかりませんように、どうか撃たれませんように、と祈らずにはおれなかったのだ。
 ベニソン(鹿肉)はとても美味しい。けれど、この美しい動物を殺すくらいなら食べなくてもいい、というのが私のスタンスだ。だが、私がベジタリアンかというとそうではなく、それなら牛や豚はいいのかと言われると反論もできず、「世の中に流通する分くらいは仕方ないけれど、自分の楽しみのためだけに猟をしなくてもいーんじゃないの?」と考えているだけである。
 それでもガイに「昨日、しとめてきたんだ。美味しいよ」と、鹿肉だの猪肉だのの料理を出されると、「わ、わーい」と、うろたえつつも食べてしまう。食うのかよ。食うのである。こう言っちゃなんだが、私の意志の弱さには昔から定評があるのだ。それに既に料理になってるんだもの。食べなきゃ、殺された鹿が浮かばれないじゃないっすか!(←逆ギレ)
 要は殺されるところを見たくないという、子どもなワケですよ。そんな私が「主」に何か言えるわけもない。私は薄暮の中で目を覆いながら、自分の身勝手さと鹿の不運と、この国の田舎の人のワイルドさをぼんやりと考えた。

VOL.24へ続く

楽園を歩くニュージーランドハイキング目次 Vol.24